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[ 文庫 ]
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グラモフォン・フィルム・タイプライター〈下〉 (ちくま学芸文庫)
・フリードリヒ キットラー
【筑摩書房】
発売日: 2006-12
参考価格: 1,365 円(税込)
販売価格: 1,365 円(税込)
( 在庫あり。 )
中古価格: 1,300円〜
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・フリードリヒ キットラー ・Friedrich Kittler
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カスタマー平均評価: 2
いまふたつ 親本の方しか読んでないから、今回の文庫本化にあたって、誤訳や不適切な翻訳が訂正されたかどうか確認していないんだけど、とにかくもともと翻訳がまずかった。そのうえ原書じたい、それほど面白い指摘がないわりに、妙に分厚い本なのだ。特にジョイス論や映画論あたりは、どうしようもなく二番煎じの内容で、こんなものがメディア論ブームで売れるのだから、ブームというのは面白い。
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[ 文庫 ]
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戦争における「人殺し」の心理学 (ちくま学芸文庫)
・デーヴ グロスマン
【筑摩書房】
発売日: 2004-05
参考価格: 1,575 円(税込)
販売価格: 1,575 円(税込)
( 在庫あり。 )
中古価格: 1,298円〜
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・デーヴ グロスマン ・Dave Grossman
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カスタマー平均評価: 5
戦場の兵士が身近に感じられる一冊 戦争現場において銃から発射される弾丸の多くは相手を殺していなかった。兵士達は仲間に軽蔑されたくないから、必死に戦う格好をして発砲を続けるものの、実際に敵兵を狙い撃ちして殺せる人間は少数――。
戦争という現場での心理を、退役兵で心理学者の著者が克明に綴った本。極限の場であるはずの戦争の場での心理が、どこか身近に感じられる一冊。
人間は人間を殺すことに抵抗を覚える、しかし単純に距離的な条件を変えたり、抵抗を少なくさせるような訓練を積むことによって、殺害率は上昇する、と筆者は主張している。戦争に限らず、一般社会に転用して考えることもできる本であり、テレビの有識者のコメントよりも、現代社会における殺人者というものの本質に触れている気がする。
ただし主張の核である「本質的に人は人を殺すことに抵抗を覚える」という部分は、それが人間(生物)としての本性ゆえなのか、現代社会の道徳文化の刷り込みゆえなのかの検証がなされておらず、続刊「戦争の心理学」において著者自身、真逆の主張をしていたりとブレている。とりあえず、現代文明社会の人間は人を殺すことに抵抗を覚える、という範囲内で理解しておくのがいいかもしれない。 戦争という大量殺人の深層 これを読んで嫌悪感を感じる方はいるかもしてない。実際に戦場に於いて敵兵を殺した
兵士の証言が生々しく書かれており、もしかしたら読むことすらトラウマになるやもし
れない。
無論、そこまでサディステックに書かれているわけではなく、本書の目的は殺人を奨励
するのではなく、殺人を侵す過程における心理状態を探っており、人殺しの心理を解明
するのが目的である。
日本人には会わない論理だというかもしれないが、平和国家日本に於いてサディズム的
殺人事件が幼年化し、その原因について実は本書で後半部に於いて示唆されている。
導入の章で戦場の例が取り上げられているが、他人事と思われずにあえて読み進めて見
ると、本書の問題とする事が、まさに今起きている問題と一致することに驚かれるかも
しれない。 戦場で何が起きているのか 映画やドラマで主人公の弾は敵に命中するのになんで敵の弾は味方に当たらないのだ矛盾してる、などと私は思いながら映画やテレビを見ることが多かった。しかしこの本を読み終えた今、ふとそれらのことを考えるとあながち非現実的ではないように思える。ゲリラやテロリストが特殊部隊に急襲され一方的にあっという間に制圧されるのはフィクションのご都合主義ではないようだ。
「訓練と実戦は違う」「彼はプロの訓練を受けている」「人を殺すのは難しい」「何をしてる早く撃て!」よく聞かれるこの台詞の本当の意味が本書を読むことで明快になる。いつ死ぬか知れない戦場で兵士が荒々しいのん気な冗談を言っているのは何故か、鬼軍曹がいつも訓練中に顔を近づけてボロカスに罵るのは何故か、私が勝手に「所詮映画だから(笑)」と思い込んでいたベタなシーンの数々は実はリアルな描写だったのではないだろうか。そこには明確な理由があるのだ。
「何故人は戦争をするのか」という問いは多いが「何故人は殺さないのか」という視点は珍しい。兵士が敵を戦場で殺すのは当たり前だとどこかで思い込んでいた現代人の私には目からうろこである。私も含めてレビューだけでは書けない興味深いエピソードが満載なので是非読んでみて欲しい。「え?戦場って実際はそんな感じだったのか」と衝撃と正しい認識が得られると思う。 人殺しと戦争と平和 アメリカ軍において、第2次世界大戦で敵に向かって実際に発砲した兵士の比率は15?20%であったという。それが、朝鮮戦争時には55%となり、ベトナム戦争時には90?95%にまで劇的な上昇を見せた。
何故そういうことになるのか。自身も軍歴の長い著者は、この大部な本の中でその問題に分け入っていく。その分析は、膨大なインタビューや手記、また数多くの先行研究を引きつつ、戦場に置かれた一人一人の心の動きやそれを規定する諸条件をあぶり出していく。そのような環境や条件の下に置かれたなら、またそのような訓練を経たならば、読み手自身もここに書かれている行動パターンをはみ出すことは難しいのではないか。そう思わせるリアリティがこの本にはある。
繰り返し強調しておきたいが、本書は観念的・皮相的な戦争賛美や反戦論とはまったく趣を異にする。「他者を殺す」とはどういうことなのか。戦場に送られた兵士は何を見て、何に傷ついて帰還してくるのか。もし「戦争と平和の規範」というものが成立するとすれば、それは圧倒的な証拠をもってここに提示されている「人間の現実」を踏まえたものでなければならないと思う。 戦争を行うことの是非を考える前に読まなければならない一冊。 色々なことを考えてしまって、訳がわからなくなってしまうとともに、戦場において「人を殺す」ということに対する兵士の心理を研究する意味は一体どこにあるのだろうと考えずにはいられなかった。
過去に行われた兵士の心理の研究目的は、戦地において兵士が敵を殺すことに抵抗を感じない作戦、武器、配置をどうするか、究極的には抵抗を感じない兵士をつくり上げることにある。そして、アメリカにとって、その研究成果のひとつがベトナム戦争だったのである。
つまり、「兵士は敵を殺す事に非常に強い抵抗を覚える。だから、戦争はやめるべきだ」ということではなく、「だから、このようにやれば敵を殺すことにためらいをもたない兵士をつくることができるはずだ」ということだ。
戦争がこの世からなくなることはないのだろう。そして戦争をやる限りは勝たなければならない。だから、このような研究は有益であり必要悪であるに違いない。
著者は20年以上を職業軍人として生きてきた人物である。しかし、兵士に命令を下す指揮官の立場にある期間が長かったようだ。前線に立ったことはあるのだろうか。更に軍人として人を殺した経験はないという。著者は、経験がなかったからこそ冷静さや客観性を保つことができたと記している。確かにそのとおりだと思し、感情論には走らない説得力のある内容だ。でも、何かが胸につかえたままのような気がしてならない。
この本は、米国ウェストポイント《士官》学校の教科書として使用されているとのことだが、なんだか薄ら寒い感じがしてしまうのは、実際に人を殺すのは、ここを卒業して即指揮官となる彼らに命令を下された前線の《兵士》だからである。
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[ 新書 ]
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住宅・マンション・アパート 住まいの“もめごと”110番 (実日新書)
・円山 雅也
【実業之日本社】
発売日: 1988-12
参考価格: 1,366 円(税込)
販売価格: 品切れ中
中古価格: 1,293円〜
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・円山 雅也
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カスタマー平均評価: 0
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[ 新書 ]
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都市のコスモロジー―日・米・欧都市比較 (講談社現代新書)
・オギュスタン ベルク
【講談社】
発売日: 1993-11
参考価格: 663 円(税込)
販売価格: 品切れ中
中古価格: 1,284円〜
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・オギュスタン ベルク ・Augustin Berque
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カスタマー平均評価: 4.5
モダニズムとポストモダニズムをともに批判する モダニズム(均質性)とポストモダニズム(文脈の無視)をともに批判する。
都市景観に対する一つの見方を提示しており、啓発的だった。
西欧は素材(質料?)の持続、日本は型(形相?)の持続という指摘も面白い。
都市性とは? 本書は都市の意味を考察することで、都市性を回復するための手がかりを見つけることを目的とし、序章および4つの章、結びによって構成されている。 序章では、自動車を製造するように作られた近代的な都市思想は「都市性」を生み出す事が出来ず、ロサンゼルスの暴動から上海の公害に至るまでの都市における危機的状況に要因となったと述べ、都市計画に問題提起をしている。 第1章では、フランスで最も古い歴史を持つといわれるユリアヌスの浴場と20年ごとに敷地を変え全く同じ形に建て返られる伊勢神宮を事例に挙げ、ヨーロッパの都市は「時間における物質的永続」に執着し、日本では「空間における形の表徴的永続」にこだわると述べている。 第2章では、丘の傾斜に出来たウルビノの町と無鄰菴(京都)の借景を例に、西洋都市が「外部→内部」の視線を前提としているのに対し、日本や米国や近代都市計画は「内部→外部」の視線を前提としていると述べ、後者は都市の断片化を引き起こしたとしている。 第3章では、現代都市と歴史都市を比較している。20世紀の都市に欠けているのは創設者を前提とする呪術的・宗教的・政治的な共同体的概念であるとし、都市形成とは外界との境界を明確にする作業であるとしている。 第4章では、ユートピア的な近代都市計画(機能主義)の時代からポストモダンの時代に入り、場所の意味と都市全体の意味を考えるようになり、都市性が回復に向かっているとしている。 結びでは、各章の内容を整理した上で、今後の都市を考えるには、「場所性」「都市性」「風土性」をよく理解することが必要である事を述べて結論としている。 著者の言う「都市性」とは、表象と現存の関係性のことである。例えば、神田川と聞くと南こうせつの曲から喚起される<表象>的なイメージがある一方で、オフィスビルが建ち並ぶといったといった<現存>的イメージがあり、都市とはそういった要素が絡みあっている。表象と現存の調和が「都市性」を生み出すとしている。本書以前の都市論では、表象(人文科学系)と現存(自然科学系)の研究の間には断絶があった。この両者を対等に評価し都市を論じた意義は大きい。
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[ 文庫 ]
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軍隊なき占領―戦後日本を操った謎の男 (講談社プラスアルファ文庫)
・ジョン・G. ロバーツ ・グレン デイビス
【講談社】
発売日: 2003-03
参考価格: 1,029 円(税込)
販売価格: 品切れ中
中古価格: 959円〜
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・ジョン・G. ロバーツ ・グレン デイビス ・John G. Roberts ・Glenn Davis
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カスタマー平均評価: 4
リアルと現実のあいだ
資本主義である限り歴史は繰り返すと言うレーニンのテーゼ(『帝国主義』)
という史観を元に描かれた物語です。本書の紹介の欄にもあるように
オリジナル文書など豊富な参考資料をもとにしています。確かに自分で参照
する文献をつくってしまえば論述はかなりたやすくなりますが…。
米国政府の背後にうごめく闇の勢力を知りたい人には手軽です。
おそらく新しい学問の夜明けを告げる書物です。 「逆コース」とは何だったのか GHQの政策転換、いわゆる「逆コース」の背後で動いたジャパン・ロビー(米国対日協議会)と、その中心人物であり、1978年のダグラス・グラマン事件でその正体を暴かれることになる元ニューズ・ウィーク記者ハリー・カーンについての研究。ジャパン・ロビーは、組織を変えつつもその活動は延々と続き、CIA、あるいはロックフェラーとの関係が深い外交問題評議会、日本国際交流センターなどとの深い人的つながりがあることが示唆される。岸信介、児玉誉士夫、ロストウなど、著名な政治家・学者とCIAの関係も、豊富な情報によって跡づけられている。
歴史は繰り返す 日本の戦後政治に関して、日本がいかにアメリカの属国になったかについての研究書である。アメリカ人の歴史学者の割には、きちんとした分析を行っている。出版社側であたかもトンデモ本のように扱ってしまっているのには、少々残念である。 露骨には示していないものの、ユダヤ系のアメリカ財閥に支配されているというのが本書の主張である。ロックフェラーとデュポンが財団を作り、その財団経由でスタンフォード大の研究者へ、そのOBを中心とする政治家による政策決定がなされている。さらに、財団は日本の奨学金や大学へ資金を提供することで、さらに米国の財団などと近づけるようにしている。 一方、日本の政治家はといえば、戦犯で有事判決になったものが東条英機以降起訴もされず、釈放されている。反共団体の基礎を作り、政財界に影響を与えたとしている。田中角栄は、石油をアメリカ経由でなく買おうとしたことによって抹殺されたとするのは、どおりがある。実際にアメリカ側の首謀者は、司法取引によって誰も有罪になっていない。 実に納得できる。では、日本が独立していくには何をすればよいか?ここまで入り込まれると、かなり難しそうだ。京都議定書のような形での対応と、沖縄米軍基地の部分撤退を問題化すべきであろう。 日本でのやり方は、イラクでの暫定政府のやり方と非常によく似ており、検証できるかもしれない。 「逆コース」を演出した米国保守派の活動がわかる 太平洋戦争直後の日本の占領政策は「ニューディール派」にしきられ、財閥系の持ち株会社は解体され、政治犯は釈放された。また、政党と労働組合は合法化され、報道規制は緩和され、戦犯容疑者に対する裁判の準備が始められた。これに驚き憤慨したのはアメリカの保守派である。彼らはアメリカの資本家たちの利益を基礎としていた。アメリカの資本家たちは、日本に巨大かつ価値ある利権を有しており、日本には報復的というよりむしろ融和的政策を取り、両国への投資と市場拡大を促進したいと考えていた。そこで保守派は、ハリー・F・カーンを中心とするアメリカ対日協議会(ACJ)により、天皇制維持・軍の再構築・財閥復興を図った。この方向は朝鮮戦争勃発により、米国が日本を反共の砦とする方針を固めたことで決定的となった。「逆コース」と呼ばれるこの政策変更を実現したACJにより、戦後の自民党親米政権は維持された。 以上の推移を本書は豊富な文献によりながら解説している。著者は、米国に従う自民党の政治家には極めて批判的である。例えば「最終的に、岸信介がいかなる人物であったか、彼がなぜ、平然と、容赦なく日本におけるアメリカの利益を推進するために日本を裏切ったかは、いまだ不明である。」(207頁)といった調子である。しかし、著者の意図とは反するかもしれないが、ソ連の東欧支配よりは米国の日本に対する政策の方が寛容だったことを勘案し、さらに米国勝利で終わった冷戦において日本が結果的に「勝ち組」に乗ったことを思えば、日本の政治家の選択は概ね正しかったのではないかと思った。また、日本が米国にとって魅力的な市場であることは経済面のみならず政治面でも重要であると思った。 日本戦後史の核心に迫る驚くべき書 この本の初版は1996年。サブタイトルに(ウォール街が戦後を演出した)とついていたが、文庫化にあたり一部訂正がされている。ハリーカーンという謎のアメリカ人が日本の戦後を操っていたという話は、立花隆の巨悪対言論に詳しいが、その内容を裏図ける内容になっている。 この本を、面白いか面白くないかといわれれば、間違いなく面白い。顔写真や参考文献も豊富なので内容をより、立体的に楽しめます。
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[ 文庫 ]
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虫喰い問題による実力度チェック ケアマネジャー試験〈2001年〉
【ユリシス出版部】
発売日: 2001-03
参考価格: 1,890 円(税込)
販売価格: 1,890 円(税込)
( 一時的に在庫切れですが、商品が入荷次第配送します。配送予定日がわかり次第Eメールにてお知らせします。商品の代金は発送時に請求いたします。 )
中古価格: 1,280円〜
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カスタマー平均評価: 0
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[ 文庫 ]
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民法風土記―「法の現場」を歩く (講談社学術文庫)
・中川 善之助
【講談社】
発売日: 2001-02
参考価格: 1,050 円(税込)
販売価格: 品切れ中
中古価格: 178円〜
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・中川 善之助
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カスタマー平均評価: 5
法学の皮をかぶった切ない回顧録 戦後の家族法学を代表する民法学者の旅行記。日本で実際に行なわれていた身分関係,財産関係のうち,末子相続,妻問婚,貰い子,家舟,甘土権など,近代の法制度が切り捨てていった例外的な慣習の実例を求めて日本中を調査旅行した筆者が,自身の足跡を後年雑誌『法学セミナー』の連載記事で想い出語りに回想したもの。例外的な現象を求めた結果なのであろう,訪れる先は交通の不便な土地が多く,まるで民俗学者を思わせる地道なフィールドワークが積み重ねられていく。そこには,明治以後の近代化の中で急速に失われていった日本の残照が,筆者のノスタルジックな眼差しのうちに映し出されている。 近代化が一段落した今日,切り捨てていったあれこれに対する後ろめたいような懐かしさを覚えると同時に,日本の近代化とち?なんだったのか,法制度や国家とはなんのためにあるものなのか,考え直さずにはいられなくなる。
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[ 文庫 ]
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基本六法〈平成7年版〉―重要改正法令収録
・金園社編集部
【金園社】
発売日: 1994-11
参考価格: 999 円(税込)
販売価格: 品切れ中
中古価格: 1,260円〜
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・金園社編集部
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カスタマー平均評価: 0
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[ 新書 ]
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民事執行法 (要点整理 新法学便覧)
・高瀬 暢彦
【評論社】
発売日: 1986-12
参考価格: 1,260 円(税込)
販売価格: 1,260 円(税込)
( 一時的に在庫切れですが、商品が入荷次第配送します。配送予定日がわかり次第Eメールにてお知らせします。商品の代金は発送時に請求いたします。 )
中古価格: 1,260円〜
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・高瀬 暢彦
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カスタマー平均評価: 0
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[ 文庫 ]
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場所の現象学―没場所性を越えて (ちくま学芸文庫)
・エドワード レルフ
【筑摩書房】
発売日: 1999-03
参考価格: 1,260 円(税込)
販売価格: 1,260 円(税込)
( 在庫あり。 )
中古価格: 2,270円〜
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・エドワード レルフ ・Edward Relph
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カスタマー平均評価: 4.5
「場所」論の最も体系的でコンパクトな本 「没場所性」(ディズニー化、博物館化、未来化など)を批判し、
「場所」の創造を求める。
場所に対する「内側」の経験と「外側」の経験、
本物の経験と偽物の経験の区別が興味深い。
「場所」論の最も体系的でコンパクトなまとめといえる。
示唆に富む良書。
トゥアンの『空間の経験』との違いを探るのも興味深い。
個人的には両者は補完的に読まれるべきと考えている。 良くも悪くも「古典」 地理学の分野以外では、レルフといえば1977年の本書、そして「没場所性」しか取り上げられないのが常だ。そして大抵次のようなタイトルの下に紹介されている――没場所性の克服、没場所性に抗して、場所の復権、云々。
そりゃぁある視点から見ればレルフのいう没場所性というのは確実に世界を覆い尽くしていくように見えたのだろう。たとえば「マクドナルド化」や「グローバリゼーション」といった言葉も同じような視点から世界を見据えている。
しかし没場所性と場所性、という単純な両極設定はすでにレルフ自身によって自己批判されていることでもある。彼(現在はTed Relph名義が多い)いわく、ベトナム戦争終結前後に書かれていた本書には、モダニズムと伝統という、今から見ればどうしようもなく単純な二分法が背後に隠されていた。現代は、少なくとも認識論的にはポストモダン、後期近代などさまざまな「モダン以降」が氾濫する時代であり、そのような時代に没場所性という、場所への感覚にこだわりすぎた概念を使うのは慎重にならねばならない、と言う。特に没場所性と誤解されがちな近代におけるモノや人の流動性の激しさが場所の感覚を損ねることはありえない、とまでレルフは言っている。
これはミクロなレベルから人々の実践や感覚を研究してきた文化人類学のほうからも提出されてきていた異論だった。
とはいえ、今となってはあまりにお気楽な近代批判・克服の道具と成り果てている「没場所性」や本書ではあるものの、レルフ自身が指摘しているように、たとえば本書で見落とされていた政治的側面、あるいはアイデンティティや場所の所有と密接に結びつく権力や排除的暴力、などといった観点から没場所性を新たな概念として構築していくこともまた、不可能ではない。
イーフー・トゥアンとともに70年代を風靡した現象学的場所論は、80年代後半以降、後期近代という自覚とともにルフェーヴル、ハーヴェイやソジャなどのマルクス主義的空間論によって押され気味の感はある(日本ではちゃんとした場所系現象学の本や翻訳が少ない。ようやく最近『場所の運命』が出た程度)。とはいえ、上記のように、批判的に、または生産的に読むことが今でもできる、そういう意味で『場所の現象学』はれっきとした「古典」であろう。
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