カスタマー平均評価: 3
とにかく訳が問題。 ポランニーの理論(再分配/互酬/交換、資本主義社会の歴史的特殊性など)を民族誌をまじえて書いたらどうなるのか、という本。未完ゆえの問題(たとえば註が不十分)もあるが、それなりに面白く読めるだろう。ただし、原書ならば、だ。 あまりにも訳がひどすぎる。訳者たちの言い訳は当たらない。ポランニーの文章は、「訳しにくい」という点では悪文かもしれないが、英語を辞書を引きながらなら読めるという人にとっては決して悪文ではない。関係節が長かったり、二重三重に説が入り組んだ文はあるが、読みにくい文章ではないと思う。 確かにこの手の文章は訳しにくいのだが、それを勘案してもこの訳はひどい。この一言に尽きる。これにだすなら、原書の”Dahomey and the Slave Trade”もしくは『経済の文明史』を購入したほうがずっといい。少なくとも初めてポランニーを読む人、ざっとでいいから読んでみたい人にはオススメできない。 反市場主義者が描く人権無き社会 食いっぱぐれて路頭に迷いたくなければ,自分を売り物になる商品に仕立て上げなくてはならない。売りになる性格。資格。技術。これらを身につけねばと,強迫観念に駆られる商品社会すなわち市場社会。 恋愛商法というのがあるそうだが,友情も恋愛も商品化される市場社会。 ポランニーはこれを批判した。すべてのものが商品になるのは,人間の歴史において常態ではない。特殊事例であり,一種の病態である。市場は人間生活全体のなかに埋め込まれていなくてはならない。 では,全面的に市場にたよらないなら,いかに生活の再生産はなされるのか。ポランニーは「再分配」「互酬」といった概念を用意している。 訳者たちも,こうした概念装置が市場社会を克服する武器として有効たりうると考えているようだ。 しかし,再分配や互酬に基づく社会は,西洋的な近代社会に慣れてしまったわれわれには,道徳観を逆なでする数々の風習と結びついている。都会化された生活に慣れた者にはたえがたいような,極度にムラ社会的な束縛によって,いくえにも縛られている。本書からそれは容易に読みとれるだろう。 わたしは,どうしても,再分配社会や互酬社会を市場社会よりも善いと,信じられない。商品化は大嫌いである。でも,再分配や互酬に基づきつつ,西洋近代が生んだ宝と思われる「人権」を,市場社会以上に高め維持する社会が,想像もつかないのである。 もし西洋的近代社会において,あたりまえとされている,本当はあたりまえでないことについて,さまざまな気づきを与えられ,考察のヒントになることを求めるなら,マリノフスキー『西太平洋の遠洋航海者』を読んだ方がいいと思う。何の理論化もなされないような民族誌だからこそ,細部のもつ豊かさが切り捨てられていないから(真実は細部に宿るとはよく言ったものだとじ実感する)。 著者には星五つ、訳者には…… 本書はいわばポランニー理論(市場経済=商品交換よりも「再配分」「互酬」「家族経済」が人類史においては普遍的である)の実践編。18世紀にヨーロッパ社会と接触したダホメ王国がポランニー理論によって分析されており、ポランニー理解のためには重要ではある。ただし、読むならば、他の著作を読んでからにすべき。 というのは、ひとつには遺著であって未完であること。もう一つには(というよりもこちらが主な理由だが)、訳文があまりにも拙劣で、内容の理解よりも訳文の解読に精力を奪われてしまうから。訳者たちはポランニーの悪文のせいにしているが、同じ文庫から先に出ている『経済の文明史』と比べればそれがただの「言い訳」にすぎないことは明らか。「てにをは」が明らかにおかしかったり、どう考えても意味が通じない文章が頻出し、訳者たちの日本語力を疑わせる。しかもこれが改訳版だというのだからあきれる。 ということで、星は三つ。減点はもちろん訳文によるもの。 資本主義は悪性腫瘍!?それは極めて特殊な経済形態。 資本主義は決して歴史の必然から生じたものではなく、世界的に見れば欧州の 一部で生じた特殊な経済形態でしかない。本質的なのは「互酬」「再配分」ある いは相互扶助的で安定した「交換」のメカニズムの方だ。 本書は言っているのはこれだけの事だ。これをダホメという国の扶助的な仕組み、 奴隷貿易でのイニシアチブを発揮した交換方法、子安貝という貨幣のあり方等の 分析を通して明らかにしてゆく。 翻訳者の一人、栗本慎一郎が巻頭解説で「言い訳」している様に 翻訳が悪いのか原文が悪文なのか極めて読みづらい。日本語として体裁をなしてな い文章も多数散見される。 とはいえ、80年代当初、栗本効果でバタイユと共に一気にポピュラになったポラ ンニー。ついに文庫出まで出るようになったかと感慨深い。兄弟マイケルの『暗黙 知の次元』も影響度という点では負けていない。凄い兄弟です。
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